THE LOST TOWN.

持ち帰った仕事も片付き、久しぶりに何のプレッシャーもない一日。

お金を使わず出来ることは?。。。

「あっ!?写真を撮りに行こう!」と。(笑)

京急に乗って、日ノ出町から黄金町を散策した。

黄金町駅付近一帯は1945年の横浜大空襲で壊滅し、戦後は ヒロポンや麻薬の密売所と非合法の特殊飲食店街(いわゆる青線地帯)に様変わりした。特に昭和20年代は、京急線の高架と平行する大岡川を境界に密売組織による縄張り争いが頻発した。警察官の巡回すら身の危険を感じて出来ない程荒んだ環境であったという。
「ちょんの間」と呼ばれる黄金町の特殊飲食店街は1958年の売春防止法施行後も相当な規模で存在し続けた。2000年頃までは京急線の高架下とその周辺で、高架下から排除された後も高架の周辺でおよそ250店の規模で賑わっていた。娼婦が店頭で客を引き、客は1万円程度の対価を払い、一畳~三畳ほどの狭い部屋で売春行為を行った。昭和20〜40年代は日本人娼婦が跋扈したが、昭和50年代に入ると台湾人女性の姿を目にするようになり、つづいてタイ人女性が増えていった。その後娼婦の多国籍化が進み、町田の「たんぼ」同様、中国や東南アジア、中米出身の女性が主体となり、日本人女性は少数派となった。
関東一の規模で人気を誇った黄金町のちょんの間であったが、2009年の「横浜開港150周年」に向けて街のイメージアップを図るため、2005年1月11日より、「バイバイ作戦」と名づけられた警察による集中的な摘発がはじまった。この結果同年8月までに全店が閉店した。
一部残存しているとされる店が売春防止法違反で摘発される事件が散発的に報道されているが、2007年6月現在、神奈川県警による派出所の常駐とパトロールが行われており、堂々と売春行為を周旋する飲食店は事実上皆無となっている。飲食店家屋の取り壊しや新築マンションの建設工事が相次ぐ一方、2007年中頃から、「ちょんの間」と呼ばれた飲食店家屋を改装の上店舗として利用した、若者向けのバーやカフェ等通常の業態の飲食店が開店し始めている。
 出典:Wikipedia

数年前の黄金町バザールや”黄金町エリアマネジメントセンター”というNPO組織を立ち上げ、以前の街のイメージを変貌させようとしている。
確かに、目新しいお店や施設はあるのだが、未だ通りを入ればちょんの間の家屋が残されている。
そして、未だ街のいたる所に、警察官の姿が。。。

アーティスティックな街に変えようとしている雰囲気は感じる。
だけど、変わろうとしているのだが、未だ変われずにいる街とも感じる。
ちょんの間があった頃の街ではないのだが、取って代わる主が不在のような感じか?

失われた街。。。

結局のところ、あともう少し時間が掛かるのだろうと思っている。
良い悪いは別として、何十年もかけて出来たディープな街を潰して、新しい街を創ろうとしているのだから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です